無職43歳の奮闘日記

無職で懲戒解雇された私の社会復帰を目指すブログです

留置経験2

前回の続きです。

今後このブログは毎日の日記のようにしていきたいですが今は回想の段階です

なるべく今に追いつけるように一日数回ブログを書いていこうと思っています

 

 

逮捕されたときの同房の方は暴力団の方ですごく怖かったです。でも普段はめちゃくちゃいい人で自分が経験してないいろいろな事やここでのルールを事細かく教えてくれました。ただ切れるとめちゃくちゃ怖い、留置職員の担当さん(留置職員のかたは刑事とは独立の部門のため被疑者をお世話してくれる方を担当さんと呼ぶそうです)に気に入らないと遠慮なく怒鳴ってたり担当さんも手におえないような感じでした。他の被疑者と其の方では担当さんの態度が違う違う、担当さんもその暴力団の方にはかなり気を使っていたようですね。朝一番はその方も機嫌がいつも悪いので私はよく怒られ私も言い返すとすぐに喧嘩になりました。まあさすがに手は出してこないですが後できちんとあやまってくるのも毎回でしたね。

 

そして私を取り調べた担当の刑事さんはすごくいい方に当たりました。私も今まで逮捕の経験がないので取り調べをテレビで見ているとすごく怖い感じがしたんですが実際にはすごく親身になって取り調べをしていただきました。まあそれが刑事さんの取り調べの策略?なのかは不明ですが私もその方になら話していいかなと思い友人以外の事は

全てお話ししました。

 

逮捕されてからの大まかな流れが検察庁に合計4回は行きました。朝8時30位には出発するのですが検察に行ってからずっと固い椅子で座りっぱなしで待たされます。帰りがだいたい19時くらいにいつもなりますね。

検察官は女性の方。同じくらいの年の方で綺麗な方でした。なんか女性の担当の方は正直異性ということで意識していまいますし、やめていただきたいですよね。でもかなりのやり手の検察官だったらしく厳しい調べでした。ああいうのは男性より女性のほうが強いですね。柔らかな顔に似合わないズバズバと聞いてきますからね

検察の後私は勾留10日間を裁判官より言われ(実際には20日になったんですが)その後数日後に弁護士さんやら会社の上司やら両親やら面会に来ていただきました

 

会社の上司は人事と営業の部長さん。面会という名の懲戒解雇を告げるために来たみたいで私の言い分を一通り聞いた後懲戒解雇の紙を差し入れしていき、もう二度と会社には来ないでねというような事を言われた記憶があります。19年間この会社一筋に頑張ってきましたが別れる際は一瞬でした。もう君の顔は見たくないから連絡もしないでいいよということでした。

 

両親も3度ほど面会に来てくれました。母親は泣いてました。本当に自分が情けないの一言でした。普段あまり泣いたことのない母親の泣き顔はこの記事を書いている半年たった今でも鮮明に思い出し自分が情けなくなってきます。

父親は激怒してました。父親とは私が不起訴で釈放されてから家に帰った時に激怒のあまりもう自分の子ではないのでここを出ていけと言われもう私には帰るところがなくなった瞬間でもあります。

 

長くなりましたが友人のことは一言も私からは話さなかったけど家宅捜査の時にPC等を押収されますがその際のメール履歴から私と一緒に計画をしたという事がばれたみたいです。でも彼らは実際に犯罪はしていないし関連施設にも立ち入っていないのでその後はおそらく無罪になっているでしょうね。

悪い仲間とは思っていても唯一のガチで心を通わせた仲間だったので私の口から彼らの名前を出すことは出来ませんでした。それがどんなに悪いことと分かっていても。。

その仲間とももう今は連絡すら取れていません。おそらく私が捕まったことによって縁を切ったのかと思います。まあ当然ですよね。他の友人と言われていた方ももう連絡すら取れません。皆私のもとからいなくなってしまいました。

 

両親もいなくなり友人もいなくなって独りぼっちになってしまいました。今後おそらく家賃が払えなくなれば住む場所さえ失ってしまいます。

私に残されたものは記憶ぐらいなので記憶が残っているうちにここに出来るだけ正確に記していこうかと思います。

ただ私の場合は繰り返しますが自業自得です。反省は今も充分しています。その反省と経験をもって少しずつですが一歩一歩前へすすんでいけたらとも思っています

今はまだ試練のときかもしれませんね

 

はあ、腰と背中が日に日に痛くなってきます

これが続くようなら来週頭にでも整形外科に行きます。前一度行ったんですけど簡単に検査され異常なしでした。先生が異常なしならそうだと思うんですが日に日に強くなっていくこの痛みはいったいなんなんだろう。