カメラと私
まあ私あまり大した趣味はないのですが唯一まともな趣味はカメラです。というか写真撮影ですね。ちなみにあとは大した趣味ではなくスロットとかまあネットゲームとかですが。
ちなみにカメラは銀塩の時代(フィルムカメラ)から少し初めまして、現在持っているカメラが結構前のなんですがキャノンのEos5D Mark2とEos kiss x2です。コンデジはキャノンのpower shot G9というものです。
キャノンの発色と使いやすさに惚れてずっと愛用しています
最近ではミラーレス一眼が主流になり、カメラ女子と言われ女性でもお洒落な趣味になりましたね。
レンズはやはりキャノンが好きなんですがマクロレンズに関しましては唯一タムロンの90ミリマクロを使ってます。こってりとした色あいが好きでマクロ撮影も大好きなので
少し職が見つかり安定したら車でいろいろ巡って写真撮影でもしたいですね。お金があまりないのでそれも出来ませんがカメラだけはどんなことがあっても売らないようにと心に決めています
まあ家なくなってカメラなんか持ち歩いてたら不審者に思われるかもですね
ではまた
ミスチルと自分
前回、前々回となんだか重いブログになってしまったので、話題を変えましょう
留置所シリーズはまた後日書きます
タイトルにもあるけど自分が尊敬するアーティストにミスチルことミスターチルドレンです。デビューから知ってますけどちょうど自分が高校から大学にかけてそして社会人の新入社員のころよく聞いていました。もちろん今でも聞いています
ミスチルとBZが私の世代くらいではよく聞いてた方が多いのではないのでしょうか
ミスチルはcross roadという曲でミリオンヒットし一躍有名になりました。その後はミリオンヒット連発して一躍トップアーティストとして君臨しました。私は抱きしめたいという曲でミスチルは初めて知りなんて感動する曲を書くアーティストなんだろうと思い当時なけなしのお小遣いでアイドルに夢中になる高校生の中で一人ミスチルの雑誌などを買いあさりもちろん当時はCDでしたけど予約していつもウオークマンで通学中に聞いていました
大学の入学式で隣の人と語り合ったイノセントワールド
就職して新入社員で落ち込んでた時に聞いたトウモネバ
曲自体にすごく衝撃をうけた名もなき詩
そしてミスチル復活第一弾の終わりなき旅
そして今でも大好きなしるし
全てが最高で今でも変わらぬメロディを奏でるミスチルには本当に頭が下がるしいつも元気を貰います
ずっと素敵な曲を作り続けて欲しいです。ずっとファンでいます。
そして、ミスチルの曲を聴くと悩んでる自分が馬鹿らしくなります
もう世間ではミリオンヒットはよほどの曲かアイドル人気でないと難しいと思うこのご時世、たとえ誰も買わなくなっても自分だけは変わらず曲を聴き続けると思います
ずっと頑張って欲しいです。心からいつも応援しています。私も負けていられませんね
留置経験2
前回の続きです。
今後このブログは毎日の日記のようにしていきたいですが今は回想の段階です
なるべく今に追いつけるように一日数回ブログを書いていこうと思っています
逮捕されたときの同房の方は暴力団の方ですごく怖かったです。でも普段はめちゃくちゃいい人で自分が経験してないいろいろな事やここでのルールを事細かく教えてくれました。ただ切れるとめちゃくちゃ怖い、留置職員の担当さん(留置職員のかたは刑事とは独立の部門のため被疑者をお世話してくれる方を担当さんと呼ぶそうです)に気に入らないと遠慮なく怒鳴ってたり担当さんも手におえないような感じでした。他の被疑者と其の方では担当さんの態度が違う違う、担当さんもその暴力団の方にはかなり気を使っていたようですね。朝一番はその方も機嫌がいつも悪いので私はよく怒られ私も言い返すとすぐに喧嘩になりました。まあさすがに手は出してこないですが後できちんとあやまってくるのも毎回でしたね。
そして私を取り調べた担当の刑事さんはすごくいい方に当たりました。私も今まで逮捕の経験がないので取り調べをテレビで見ているとすごく怖い感じがしたんですが実際にはすごく親身になって取り調べをしていただきました。まあそれが刑事さんの取り調べの策略?なのかは不明ですが私もその方になら話していいかなと思い友人以外の事は
全てお話ししました。
逮捕されてからの大まかな流れが検察庁に合計4回は行きました。朝8時30位には出発するのですが検察に行ってからずっと固い椅子で座りっぱなしで待たされます。帰りがだいたい19時くらいにいつもなりますね。
検察官は女性の方。同じくらいの年の方で綺麗な方でした。なんか女性の担当の方は正直異性ということで意識していまいますし、やめていただきたいですよね。でもかなりのやり手の検察官だったらしく厳しい調べでした。ああいうのは男性より女性のほうが強いですね。柔らかな顔に似合わないズバズバと聞いてきますからね
検察の後私は勾留10日間を裁判官より言われ(実際には20日になったんですが)その後数日後に弁護士さんやら会社の上司やら両親やら面会に来ていただきました
会社の上司は人事と営業の部長さん。面会という名の懲戒解雇を告げるために来たみたいで私の言い分を一通り聞いた後懲戒解雇の紙を差し入れしていき、もう二度と会社には来ないでねというような事を言われた記憶があります。19年間この会社一筋に頑張ってきましたが別れる際は一瞬でした。もう君の顔は見たくないから連絡もしないでいいよということでした。
両親も3度ほど面会に来てくれました。母親は泣いてました。本当に自分が情けないの一言でした。普段あまり泣いたことのない母親の泣き顔はこの記事を書いている半年たった今でも鮮明に思い出し自分が情けなくなってきます。
父親は激怒してました。父親とは私が不起訴で釈放されてから家に帰った時に激怒のあまりもう自分の子ではないのでここを出ていけと言われもう私には帰るところがなくなった瞬間でもあります。
長くなりましたが友人のことは一言も私からは話さなかったけど家宅捜査の時にPC等を押収されますがその際のメール履歴から私と一緒に計画をしたという事がばれたみたいです。でも彼らは実際に犯罪はしていないし関連施設にも立ち入っていないのでその後はおそらく無罪になっているでしょうね。
悪い仲間とは思っていても唯一のガチで心を通わせた仲間だったので私の口から彼らの名前を出すことは出来ませんでした。それがどんなに悪いことと分かっていても。。
その仲間とももう今は連絡すら取れていません。おそらく私が捕まったことによって縁を切ったのかと思います。まあ当然ですよね。他の友人と言われていた方ももう連絡すら取れません。皆私のもとからいなくなってしまいました。
両親もいなくなり友人もいなくなって独りぼっちになってしまいました。今後おそらく家賃が払えなくなれば住む場所さえ失ってしまいます。
私に残されたものは記憶ぐらいなので記憶が残っているうちにここに出来るだけ正確に記していこうかと思います。
ただ私の場合は繰り返しますが自業自得です。反省は今も充分しています。その反省と経験をもって少しずつですが一歩一歩前へすすんでいけたらとも思っています
今はまだ試練のときかもしれませんね
はあ、腰と背中が日に日に痛くなってきます
これが続くようなら来週頭にでも整形外科に行きます。前一度行ったんですけど簡単に検査され異常なしでした。先生が異常なしならそうだと思うんですが日に日に強くなっていくこの痛みはいったいなんなんだろう。
留置経験1
前半と後半に分けて2回に私の逮捕→留置経験をお話し致します
もう二度とこのようなことを起こさないため私自身に言いくるめる目的と二度と犯したことを忘れないために思い出すのさえ辛いですが記載していこうかと思います
私が捕まったのは今年の冬でした。友人3人と仕事帰りのことでした。友人の甘い一言につい魔がさしてしまい、友人とともに犯罪を犯しました。結局友人は見事に逃げて逃げ遅れた自分のみが捕まってしまいました。
初めての逮捕、初めてのパトカーに乗車して頭が真っ白になったのと同時に全てが終わったと思いました。警察の方は私一人のために6人位は居た覚えがあります。
パトカーで近くの警察署に連行される間によくパトカーの中でどんな話をしたのか気になる方は居ると思いますが頭が真っ白になっていたのではっきりとは覚えていませんが
どうしてこんなことしたんだ、ほかにもしてないだろうな?という事と名前とか身元のことを詳しく聞かれました。
逮捕されて警察署についてすぐに巡査部長?のかたの簡単な事件の経緯と取り調べが
ありその方と取り調べをしたのは一度だけでした。普段は担当の方がいて同じ担当の人が取り調べをするとのこと。
そして身体検査や写真撮影、指紋摂取(今はプリンターみたいな機械?で簡単にできるんですね)を取り調べと合わせて2時間くらい行いました。そして夜中3時に初めて留置施設に入りました。
私が逮捕された警察署は留置監獄が6戸位あり2人一組になります。3分の1は外国の方だった気がします。
そして私の同房は暴力団の方。50台後半くらいのがたいのいい方で見た目がすごく怖く実際に怖かったです。この方とのことは後半にお話しします
逮捕されて2日くらいはご飯ものどに通らず初めての経験故何をしていいのか留置場のルールも全く分からず今後どうなってしまうのかが不安でした
警察は48時間以内に被疑者を逮捕してから検察に送検しないといけないみたいです
実際に48時間送検までの取り調べの警察の方はすごく嫌味な言い方の方でして私がこうこうこうでしたとお話しすると「本当に~?」っにやにやして私のことを小馬鹿にした感じでした。実際私が悪いのでしょうがないなと思い事件のことはつつみ隠さず一つのことを除き全てお話ししました。
一つのことは一緒に事件を起こした友人2人のことです。まあ今は友人ではなくなってしまったのですが、悪いことをした仲間だったけど私の唯一の友人であったので裏切られた感はありましたが私は絶対に友人のことは話さずに私の単独の事件ということで貫きとおそうと思いました。
長くなったので後半は次回に続きます
最近腰というか背中全体がすごく痛いです。何か原因がよくわかりません
病院やら接骨院やら今いってるのですが一向に良くならず、なんなんでしょね
しばらく様子は見ますが大したことないといいんですが・・・
書類審査ですら通らない現状
前回のブログでも記載しましたが現在失業保険を給付いただき就職活動中です
懲戒解雇されたのと43歳という年齢のためやはり再就職は厳しく書類審査でほぼ不採用になってしまいます。すでに20社は受けていますが面接すらいけない現状です
私は実は大学を卒業したのち19年間事件を起こすまで一つの会社でずっと勤務してまいりました。なのでその業界に関しては多少なりの知識経験があります。
逆に言えばそれ以外の経験がないのが痛いですね
とにかく自分の限界までは再就職のために活動したいですしいつかこんな自分でも雇っていただける会社に巡り合うまではひたすら頑張っていきたいと思います
とりあえ今日はここまでに致します
次回は逮捕勾留の経験を少し記載しようかと思います
会社を解雇された
会社を懲戒解雇されました。つつみ隠さずお話します
私は実は法に触れる事件を起こしてしまい警察のお世話になってしまいました。内容は言えませんが初めての事と相手方との示談もあり、20日間の拘留の末不起訴処分になりました。
本当に相手方並びに私の両親、そして関係者様には多大な迷惑をお掛けしてしまいました。もう二度と同じ過ちを犯さないように深く反省をしております。
そして拘留中に二つの悲しいことがありました
〇会社を懲戒解雇されたこと
〇父親に勘当され家を追い出され現在わずかながらの貯金を崩してなんとかアパートで生活をしている現状
もちろんハローワークに通い現在失業保険給付中です。でもそのお金がなくなればいよいよ住む場所もなくなり路上生活ないしネカフェ生活を余儀なくされてしまうという状況のところまで来ています
もちろん自分が悪いのは充分に承知しております。自分が招いた結果が現在の情況です
過去の自分への戒めと反省をしたくこのブログを作成しました
今本当に消えてなくなりたい思いです。でもせっかくブログを作成したのでもう少しだけ頑張ってみようかと思います
次回に続く
無職の奮闘日記
初めましてmars42と申します。先日会社をとある事情で解雇になってしまいました。
無職になってしまったので現状と今後の社会復帰を目指すためにブログを立ち上げました。お見苦しいブログですが何卒よろしくお願いいたします
さっそくですがわたくしのステータスです
【性別】♂
【年齢】43歳
【名前】mars42
【趣味】写真撮影
何故会社を解雇になったかは次回のブログでお話致します
あと慣れてきたら私の趣味のカメラを通して写真などを載せることが出来たらと思います。